七色の澄泥硯

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 澄泥硯と呼ばれる硯があります。端渓硯、歙州硯、魯硯と並んで、4大名硯と言われています。

 昔から泥を固めて焼いて作った硯と言い伝えられていて、蘇易簡の『文房四譜』、米ふつの『硯史』などに詳しい製法が記されていますが、その通りに作っても再現できなかったようです。我国でも長らく澄泥硯は焼物の一種と信じられていて、例えば昭和53年に発行された『硯石学』と言う本には「澄泥の全盛は唐代で、宋代以降はその亜流に終始した。明代以降の澄泥硯は論ずるに足りない。端渓などの石硯に比べて発墨に劣り、磨墨に劣り、石美に劣り、筆鋒を損じやすい。」と散々にこき下ろしています。

 しかし昭和52年に出版された和堂先生の著書『筆墨硯石』には「伝えられた製法では古硯のような見事な澄泥硯は作れないので、天然の石材ではないかと疑問を持っている人も居ます」と書かれています。

 現在では澄泥硯の原石は蘇州霊巌山から採れる自然石である事がわかっています。蘇州の寒山寺に行った時、土産物屋に澄泥硯が沢山並んでいて、聞いたら近くの山で採れるのだと言っていましたから、地元では澄泥硯が自然石である事は自明の事だったようです。(彼らは端渓硯、歙州硯、澄泥硯、とう河緑石硯を4大名硯といっていましたが。)

 尤も今でも泥を焼いて固めた澄泥硯と言うのを売っていて、私も通信販売で一面買って持っています。

 鶯谷の「硯の資料室」で毎月初めに洗硯会を開いていて、今年、平成19年の正月の会では7色の澄泥硯を展示しているとのことなので見に行きました。主催しているのは精華堂の御主人の弟楠文夫氏で、テレビ番組「何でも鑑定団」で硯が出てくる時は必ず呼ばれるその道の大家です。

 その日は幸い他に客も居らずゆっくりお話をうかがうことが出来ました。以下は解説していただいたお話の要約です。
「昭和40年代は中国硯のブームでした。中でも澄泥硯は一番人気がありました。その頃は澄泥硯は焼物だと信じられていて、乾隆帝時代の『西清硯譜』にも製法が載っています。それによると山西省・山東省の河中から泥を採取し天日で乾燥して薬品を混入し焼いて作ります。しかしこの方法で唐宋時代の澄泥硯を再現する事は出来ず、従って希少価値があり大層高価な硯でした。

 上海には山ほど澄泥硯があったので、全部買ってきて売りさばきました。再度上海に行くとまた澄泥硯が山積みになっていました。唐宋時代以後製法がわからなくなったはずなのにおかしいなと思い、上海の硯の工房に行ってみると、硯の切れ端が転がっていました。焼物の硯に切れ端が出来るはずはないので、これは自然石だと確信しました。工房の職人達も自然石だと言っていました。

 澄泥硯の産地は、蘇州霊巌山でした。今でも行けば硯に良い石がごろごろしています。昔の澄泥に比べ、現在の石は多少石質は異なり、値段も大幅に下落しましたが、鋒は優れ、美しい色の温かみのある優れた硯石です。

 緑、黄、紅,、白、紫、青、朱の7色があり、それぞれ緑豆沙(緑豆の色)、ぜん魚黄(中国で普遍的な食用魚の黄色)、蝦頭紅(海老の頭の赤)、魚と白(魚の肝の白=夜明けの空の色)、まい紫(バラ科の花の紫色)、蟹殻青(蟹の甲羅の青)、朱沙澄泥と呼ばれています。」


 

                          (林閑堂記)

  

(青)

(紅)

(黄)

(緑)

(紫)

(白)

(朱)