古梅園見学

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 師走も押し詰まった12月27日、奈良の古梅園の墨工場をを見学してきました。奈良は日本の油煙墨製造の中心地で、興福寺の持仏堂の灯火の油煙煤を牛膠で固めて作ったのがその始まりとも、春日神社の灯篭の煤を用いたのが起源だとも言われていますが、大きな製墨業者が集中しています。中でも古梅園は400年の伝統を誇り、昔ながらの製法を今も守り続けています。
 
 JR奈良駅から東に歩いて15分ほど、狭い路地に囲まれて古い屋敷が建っています。「古梅園」の看板を見るまではこれが工場だとは一寸気がつきませんでした。一画が売店になっていて、中に入ると営業部長の井谷氏と営業部の竹住氏が迎えてくれました。

 先ず古梅園の沿革を記したパンフレットが配られ、ビデオで製造工程の概要説明を受けました。工程そのものは至極シンプルで、油を燃やして煤を採集し、膠と混ぜて練ったものを型に入れて固め、乾燥させた後洗って磨いて彩色して出来上がりです。

 ただ全ての工程が手作業で凡そ効率化とは対極にある上、個々の工程に良質の墨を作るためのノウハウがぎっしり詰まっていて手抜きが許されないので、大変な仕事のようです。例えば、膠の変質を防ぐために製造は10月から4月までに限られるとのことでした。それなら部屋にエアコンをつけて温度と湿度を管理すればいいではないかと考えるのが素人の浅はかさで、それでは多分いい墨が出来ないのでしょう。

 竹住氏の案内で工場内の全工程を見せてもらいました。最初に案内されたのは煤を採取する採煙小屋で、多分製墨上最も重要な工程と思われます。真っ暗な小屋の中の壁に沿って棚が何段もあり、ここに灯油をともす皿がずらりとならんでいて、多少おどろおどろしい感じがします。炎の上には直径20センチほどの笠が置いてあって、ここに煤が付着します。油は菜種油が主体で、その他に桐油、椿油、麻油なども使うそうですが、いずれも植物油で、しかも混合して使う事は無いそうです。

 灯明の芯は細いほど細かい良質の煤が採れますが、当然歩留まりが悪くなり高価になります。また均一な煤を採取するため笠を15分毎に回転させるのだそうです。ここでも素人は少しずつ回転させる装置を考えてしまいますが、勿論手作業で行ないます。2時間ほど後に笠を取り出して煤を採取します。

 こうして集められた煤を、煮溶かした膠の溶液と10対6の割合で混ぜ、若干の香料を加えます。
膠は牛の骨から採りますが、現在は殆ど輸入品だそうです。手でもんだり足で踏んづけたりしてよくこねて、餅状にしたものを小さな団子に丸め、木型に入れて成型します。かなりの力仕事のようです。

 木型は上下左右に4分割され、取り出された塊はもう墨の格好をしています。これを乾燥させるわけですが、これが又大変微妙な作業で、徐々に均一に乾かさないとひび割れて製品にならなくなるのだそうです。箱の中に適度に湿らせたくぬぎの木灰を入れ、ここに並べて入れて湿気を吸収させます。木灰の湿気を少しずつ減らしたものに順次入れ替えて少しずつ水分を抜いていくのだそうです。最後は完全に乾いた木灰に入れます。この灰に触ってみた所、絹のようなふわふわの感触で、ほのかに香料の匂いがしました。
因みにこの木灰は何度でも使い、足りなくなると補充するので、現在の灰の中には400年前のものも若干は含まれているはず、とのことでした。

 こうやって殆どの水分を除いた後、藁に吊るし柿のようにくくりつけて乾燥室内にぶら下げ、更に乾かします。充分に乾燥した後取り外して丁寧に水洗いして灰分を除き、蛤の殻で表面を1個ずつ丁寧に磨いて艶を出し、色を挿したり金で巻いたりして完成です。

 全部の工程に膨大な人手が必要な上、完成までに何ヶ月もかかる分資金が寝ますから、しみじみ大変な作業である事を実感しました。全て400年前と全く同じ製法なのでしょう。何しろ工場を見て廻って殆ど唯一近代文明との接点と思われたのは、敷地内に敷かれた荷物運搬用のトロッコのレールだけでしたから。

 記念に、つきたての餅のような墨の原料で、握り墨をやらせてもらいました。握った後掌に墨は全く付着しませんでした。
1回4000円で、面倒な乾燥の工程までやってくれて、後で送ってくれるそうです。 

 墨は高いものから安いものまでいろいろあって、勿論大量生産の利く鉱物油を使用した墨は安価ですが、同じ菜種油を使った墨でも値段に大きな差が出来るのは、偏に工程の差のようです。細かい煤を使って丁寧に仕上げたものは高価な墨で、専ら人件費とノウハウ料が値段に反映されているという事でしょうか。

 煤と膠の割合を10対6にするのは製造上の理由からで、膠をあまり少なくすると餅状に丸めて成型する事が出来ません。しかしこれを磨って字を書く時には、あまり膠分が多いと粘って書きにくくなります。墨を冷暗所で保存しておくと、時間とともに膠が加水分解を起こして減少しますので、出来立ての墨より5年から10年保存したものの方が書きやすくなります。 

 当会で頒布している銘墨「清和」も古梅園製で、保存してある木型を見せてもらいました。5ツ星より更に上級のクラスなのだそうで、現在3挺型(12匁=48グラム)のもので、販価2万円だそうです。来年から値上げするので、今のうちに作っておきませんかと言われましたが、まだ若干残っているので、発注は見合わせました。それにしても現在残っている「清和」は20年位前に作ったものですから、充分枯れていて使いやすくなっているはずです。これで書いて作品の出来が悪かったら先ず墨のせいではありません。

 見学が終わって売店を覗いていたら、金泥墨、銀泥墨というのがありました。紺紙に金字、銀字で写経するとき、膠に金粉、銀粉を溶いて筆ですくって書きますが、保存や管理が結構面倒です。しかしこれだと普通の墨と同じように、必要なだけ磨って書けばいいとのことなので便利だなと思いました。金泥墨は一個7万4千円もするので敬遠して、銀泥墨の方を買ってみました。




                    (林閑堂記)

(古梅園の建物)

(軒先の看板)

(採煙小屋)

(小屋の中に並んだ灯明と笠)

(笠の裏に着いた煤)

(灯明の芯。色々な太さがある)

(膠の溶液)

(墨をこね型に詰める作業室)

(くぬぎの木灰を入れた箱)

(藁でつないで墨を乾燥させている)

(工場内の運搬用トロッコの線路)

(握り墨)