慈光寺写経会

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慈光寺は、埼玉県小川町の南西10キロほどの所にあるお寺で、7世紀の末に鑑真の高弟「釈慈訓」によって開かれたと伝えられる古刹です。鎌倉時代には幕府の厚い庇護を受けて大いに栄え、広大な寺領と75の僧坊があったと伝えられており、現在もその面影を残しています。

 

ここに伝わる国宝の慈光寺経は、平家納経や久能寺経と並んで、日本の三大装飾経の一つに数えられ、また重文の小水麻呂願経も有名です。これは平安時代に書かれた大般若経なのですが、大変有難いお経で、煎じて飲むと万病に効くとの評判から、600巻あったはずのものが、飲まれて現在は152巻に減ってしまったそうです。

観音堂は坂東9番札所になっていて、ときどきお遍路さんが訪れて、御朱印をもらっていきます。お堂の前には、和堂先生の直筆になる石碑が立っています。

ただ交通の便があまりよくなく、1日数本のバスもお寺の下までしか来ておらず、バス停から山門までは、きつい山道を30分程も歩かなければならないので、車が無いと、一寸来るのがしんどい感じです。

 

昭和30年に和堂先生がここを訪れて、慈光寺経を拝観した時、中に混じっていた江戸時代の輔写本が大層粗末で見劣りがするので、これを昭和の技術で再生しようと思い立ちました。田中親美、福田喜兵衛、加藤湘堂等の諸先生をはじめ69名の皆さんと語らって、8年かけて方便、薬草喩、安楽行、妙音、勧発の5品を書き上げ、昭和39年5月に納経いたしました。「100年後には国宝になる」と和堂先生が自負するほどの見事なできばえで、よほど愛着が深かったと見えて、「輔写したる 五巻の経よ ひさびさに 見れば昔の 友にかも似る」と詠んでいます。

 

7月18日は和堂先生の祥月命日に当たりますが、偶々海の記念日でお休みだったので、事務所の皆さんと慈光寺に参拝し、心経堂で般若心経を書いてきました。

 

朝9時過ぎに日暮里を出発し、関越自動車道の東松山ICで下りて、まず小川町に行きました。小川町は手漉き和紙の産地なので、紙漉工場を見学したかったのですが、生憎月曜日は定休日との事で、どの工場も見学させてもらえませんでした。仕方なく道の駅に隣接する「埼玉伝統工芸館」に入って、観光用の紙漉きを見学しました。和紙以外にも色々な手工芸品が展示されていて、なかなか興味深く、埼玉には随分と伝統工芸が残っているのだなと実感しました。ただこの種のPR館で入場料を取るのはどうかなという気もしました。

 

近くの「甚五郎」という古いうどん屋で熱々のうどん鍋を食べた後、慈光寺に向かい、午後1時丁度に着きました。本堂でご住職の佐伯明了師に御挨拶した後、心経堂へ行きました。この心経堂は有志の人が建てて寄贈してくれたものだそうで、写経のためには無料で貸してくれます。そのかわり、机や座布団の準備は自分達でやらなくてはなりません。皆思い思いにに机を窓際や入口の明るい所に持ち出して、3時半まで掛けて、般若心経を黄檗紙に書写しました。下界は暑かったようですが、ここは冷房が無くても結構涼しく快適でした。ただ蚊が多いので蚊取り線香とスプレーはお寺から借りました。

 

写経が終了した後観音堂に登り、和堂先生の石碑の前で記念撮影をしました。慈光寺にはそのほかにも、板碑とか鐘楼とか宝物殿とか見るところは沢山あるのですが、ご住職が輔写した法華経を見せてくださると言うので、本堂に戻りました。

 

絹布に包まれて桐箱に納められた、100年後に国宝になるであろう五巻の経を、指紋がつくのを気にしながら一巻ずつ取り出しては机に拡げて拝観しました。田中親美先生と福田喜兵衛先生の入魂の料紙はどれも素晴らしく、拡げる度に溜息が聞こえました。69人の書継で、経巻の裏面に筆者の名前が記してあり、田中塊堂とか豊道春海とか相沢春洋といった有名な書家や、見知った人の名前が出てくるたびに、こんな字なんだと眺め入りました。

 

この法華経のほかにも色々なお経を出してくださったのですが、残念ながら時間が無く、いずれもう一度来ることとして、5時過ぎに下山して帰途につきました。

評判が良かったので、来年以降一般会員にも呼びかけて、7月の慈光寺での写経会を会の定例行事にしようかと考えています。

 

(伝統工芸会館)

(紙漉きの実演)

(慈光寺に至る参道)

(本堂正面玄関)

(心経堂での写経風景)

(明るいほうがいいと出入口に
陣取る人もいます)

(観音堂)

(和堂先生の石碑)

(石碑の前で記念撮影)