高齢者の皆さんへの応援歌

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  1) 高齢社会

 日本は今「高齢社会」だそうです。何でも高齢者の割合が全人口の7%を越えると「高齢化社会」、全人口の14%を越えると「高齢社会」と定義するそうです。

 平成16年度の高齢社会白書によると、日本は1994年に高齢社会に突入し、いまや先進諸国の中で最も高齢化が進んだ社会だとのことです。

 ところで一体いくつから高齢者と呼ばれるのでしょうか。国連では60歳以上を高齢者と呼んでいます。65歳から74歳までを前期高齢者、75歳から84歳までを中期高齢者、85歳以上を後期高齢者などと細かく分類している文献もありますが、国際保健機構(WHO)が定義する65歳以上を高齢者と呼ぶのが一般的なようです。

 この定義に従うと、日本の2001年の高齢者の総人口に占める比率は17.9%で、イタリアの17.7%、スエーデンの17.3%、ドイツの16.2%、フランスの15.8%、イギリスの15.6%などを押さえてトップにあります。

 その上「高齢化社会」から「高齢社会」になるのに要した年数が、フランスの115年、スエーデンの85年、イギリスの47年、ドイツの40年などと比べて、わずか24年とダントツに早いのだそうです。

 このように急速に高齢社会に移行したのは、戦後我国の死亡率が急激に低下して、平均寿命が大幅に伸び、合わせて少子化がすすんだからですが、結果として様々な社会問題が浮上しています。年金問題、介護問題、労働人口の減少、高齢者の生き甲斐と余生の過ごし方等等です。

 日本の高齢社会化はまだまだ進み、2015年には高齢者比率は25%、2030年には30%に達し、日本人の3人乃至4人に一人は老人になると推測されています。これら老人達が、数少ない就労人口に養ってもらうことになるのだから、日本の先行きは暗いなどといわれると、何だか長生きしているのが申し訳ないような気分になってきますよね。

 だけど、本当にそうなのでしょうか!



  2) 日本はまだ高齢社会ではない

 勿論これらの統計数字を全面的に否定するつもりはありません。多分正しいのでしょう。しかしここで少し発想を転換してみたいと思います。

 先ずこのような結論が出てきたそもそもの発端は、WHOの65歳以上を高齢者=老人とした定義にあります。WHOは世界各国の人口統計を扱う関係上、どの国でも65歳を越えた人は老人として扱っているのでしょうが、世界一の長寿国日本と、平均寿命が40歳そこそこのルワンダやジンバブエと同じ定義と言うのは、どう考えても不合理です。

 「村の渡しの船頭さんは、今年60のお爺さん」 という童謡がありました。確かに平均寿命が50歳の頃の日本なら、60歳は立派なお爺さんでしょう。ルワンダやジンバブエでは50歳でも長老として通用しているかもしれません。しかし現在の日本で60歳の人は、お祖父さんではあってもお爺さんだとは廻りも本人も全く考えていないでしょう。

 そこで高齢者=老人を、その国の平均寿命の90%以上の人と定義してみてはどうでしょう。つまりルワンダやジンバブエでは36歳以上が高齢者、日本やスエーデンは72歳以上を高齢者と定義するのです。 

 日本の65歳から71歳までの人口は、2001年時点で約950万人です。これは総人口のほぼ7.5%にあたりますから、高齢者比率は10.4%となり、日本はまだ高齢社会ではないことになります。 万歳!

 しかし、そんな無茶な、人間には生物学的な年齢があって、日本人だろうとルワンダ人だろうと体力や知力の衰えは同じだから、50歳は50歳なりの老化現象が起こり、65歳になれば同じような老人になる。平均寿命は戦争が無く衛生状態が改善されて、幼児や成年の死亡率が低下したための統計上の数字に過ぎない、との反論があるかもしれません。

 ところがこれがそうではないのです。



  3) 年齢によらない老人の定義

 確かに体力や知力の衰えは、同じホモサピエンスである以上、世界中のどこの国の人の間にも大きな差があるとは思えません。人間の体力・知力のピークは20台前半にあり、後は下る一方だと言われています。しかし仕事の遂行能力は、このほかに知識や経験や信用や交友関係や地位や名声や財力や、いろんなものの総和で決まってきます。そしてこれらのものは該して年齢と共に増加します。どの要素が大きく寄与するかは、仕事の内容次第です。

 力士は30を過ぎればベテランで、40前には引退してしまいます。野球選手の選手生命は多少長いですが、それでも40過ぎて現役の人は稀です。力士は引退すると、40前でも年寄りと呼ばれます。しかし相撲は取れなくなっても、弟子の養成をさせれば過去の経験を生かして、現役力士より巧みに行なえます。野球選手も引退後は監督やコーチや解説者の道があります。多分運動能力の高かった現役時代よりは、上手くこなせるのでしょう。

 狩猟・採集の社会では、身体能力が衰えた人は使い物にならなくなります。従って40歳を過ぎたら、一部の族長やシャーマンを除いて社会の第一線からは引退しなければなりません。農耕社会では、もう少し年を取っても働けますが、50歳、60歳になれば若い人達と同じペースでは働けず、半端仕事しかさせてもらえないでしょう。しかし社会が複雑化してくれば、政治家とか宗教家とか天文暦法を司る史官とか芸術家とか、より高年齢の人に適する仕事が出来てきます。

 そこで老人とは、「或る社会で能力を発揮して社会に貢献することができなくなり、周りの人に養われて余生を送るようになった人」と定義したらどうでしょう。ルワンダやジンバブエでは36歳以上が老人と考えてもそれほど的外れではないのかもしれません。日本人は平均寿命が世界一であるばかりでなく、健康年齢(元気で働ける年齢)も74.5歳と世界一なのですから、72歳以上を老人と定義しても全く矛盾は無いのです。

 しかし現実には、一般の会社や官庁では、60歳が定年です。会社によっては55歳を役職定年と称して、部課長の職を解かれ、給料を下げられて窓際に移されてしまうところも増えています。そして65歳になると年金が支給され、働く意欲や能力があっても余生を楽しみなさいと、老人にされてしまいます。それで年金が足りない、労働人口が不足していると騒いでいるのです。

 65歳から71歳までの950万人が就労人口に加われば、就労人口が足りないから未熟練外人労働者を大幅に招く必要も無くなりますし、年金問題も解消します。高齢者の余生の過ごし方などを議論する必要もないのです。

 しかし、そうはいっても現実に会社の定年は60歳だし、高齢者に再就職の道は険しいし、働きたくても働けないのだとおっしゃるかもしれません。その通りです。問題の本質は、高齢社会問題と言うよりは、社会システムが時代にマッチしていないことにあるのです。

 まだ老人ではないのに老人だからと隠居させられて、残る平均余命16年間の余生の過ごし方は各自で考えなさいと言われて、それで高齢社会問題の元凶は老人が長生きするからだと言われたって困りますよね。



  4) 新しい人生のサイクル

 現在のいわゆる高齢社会問題の原因は、日本の少子化、長寿命化が外国では例を見ないほど急激に進んだからだと識者は言っています。また後30年か40年すれば再びバランスを取り戻して、安定した社会になるともいわれています。こうなるのはわかっていたのだから、対応が遅れた政府の責任だと言う人もいます。

 しかし高齢者をマスとして考えれば、こんな議論も意味がありますが、人生どう生きるかは、別して個人の問題であり、識者や政府や社会のせいにしても始まりません。会社の定年を72歳に引き上げるなどと言うのも非現実的です。むしろビジネスの世界では、年功序列の影は薄れ、より実力主義の方向に移り、カルロス・ゴーンやホリエモンのような人達がどんどん現れて、高齢者が年功に物を言わせて仕切る時代は終わったようです。

 負けが混んできた横綱や大関がいつまでも地位にしがみついていては、相撲がつまらなくなります。さっさと親方や解説者に転進するべきです。会社人間も同じ事で、一番能力が発揮できる30代、40代はバリバリ会社で仕事をして、管理職になった人は55歳まで、経営陣に加わった人は62〜3歳まで働いて、その先はより高齢者に適性のある仕事を見つけてそれに打ち込むと言うのが、今の時代に最もマッチする生き方ではないでしょうか。

 高齢者の皆さん。お仕着せの定年退職で年金生活者になって、町内の老人クラブの催しに参加して暇をつぶし、長い余生を細々と過ごす時代は終わりました。まだまだ長い人生、心から打ち込めるものを見つけて下さい。

 因みに私が会社を定年退職して、書道界に入った時、「お!若手が来た。」と言われました。毎日書道会の役職定年は80歳になっているので、まだまだ努力のし甲斐があります。どうですか、書道をはじめてみませんか。


                                        (林閑堂記)