書譜

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「事務をこなすのに適しているのは行書である。碑文や題額の文字には楷書が優れている。草書だけ学んで楷書を学ばなければ、きちんとしたものを書く時に不安があり、楷書だけで草書が出来なければ、特に手紙を書く時に困る。」

「また時に字を書いてみて、調子の良い時悪い時がある。調子の良い時は筆がすらすら流れて美しく書けるし、調子が出ない時はちじこまって粗雑になる。その理由を概略すれば、各々次の五つの場合がある。調子の良い時は、第一に精神がやわらいで仕事が閑なとき、第二に勘が働いて理解が早いとき、第三に気候が穏やかで大気に潤いがある時、第四に紙と墨が良く調和する時、第五に気楽に書いてみようと思ったときである。一方調子の出ない時とは先ず心がせわしく身体がだるい時、第二に気持ちが集中できず鬱屈している時、第三に乾燥して日が照りつける時、第四に筆と墨が馴染まない時、そして第五に気持ちが乗らず手が重い時である。調子の良い時と悪い時では優劣に差が出る。良い時期を待つよりも良い器材を揃えるほうがよく、良い器材を揃えるよりも気持ちを充実させるほうが良い。もし調子の悪い条件が全部揃うと気持ちは先に進まず手も動かず、条件の良い状態が全部揃えば気持ちはゆったりして筆も伸び伸び動く。筆が伸び伸び動けばどのような字でも思いのままだし、手が思うように動かなければ処置無しだ。」

「そもそも筆遣いの方法は、自己の工夫から出るものではあるが、規範とするのは目の前に置いた名籍である。これを手本としても、ほんの少し差があると、似ても似つかぬものとなってしまう。しかしこつを押さえられれば、全体を似せる事が出来る。細やかな心遣いを忘れず習熟する事を心掛けるべきである。もし筆遣いが成熟し切り手本が心の中に浮かぶようになれば、筆はゆったり動き、心のままに筆はついてくるし、何の拘りもなく筆は動き、心は飛翔する。」

「思索によって書の規範を理解する点においては、若者は老人に及ばない。学習によって書法の規則を習得する点では、老人は若者に及ばない。思索は年と共にますます深まるけれども、学習は若いうちに励むべきである。書を学習するには三つの段階がある。各段階毎に様相が変わり完成していく。最初は文字の配置、結構を学ぶ段階でただひたすら平易端正を追求する。次にこの平正さが会得出来たら、自由奔放さを追求する。自由奔放に書けるようなったら、また端正さの追求にたちもどる。初め自分は未だ至らないと考える。やがて我ながらうまく書けると思うようになる。最後には、過不足を融合して高い次元に立てるようになる。このような境地に到達した時、人も書も老成円熟するのである。」

「或いは自分の作品を卑下する人もあれば、自分の作品を誇る人もいる。自ら自慢する人は限界に達してしまった人で、その先に進む道を閉ざされている。自ら卑下する人もやはり心が障害に突き当たっている人だが、そこから抜け出せる可能性はあるだろう。全くの所、いくら学んでも上達しない人はいるが、学ばないのに上手な人はいない。この事は、日常の事柄を考えてみれば、自明の理である。」