植村和堂先生略年譜   
              

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明治39年 (1歳)  3月26日東京都日本橋で宗吉、ハルの次男として生まれる。

明治45年 (7歳)  神田小川小学校に入学。

大正8年  (14歳) 斯華会に入会。

大正10年 (16歳) 相澤春洋先生に師事。

大正12年 (18歳) 大震災に遭遇し大阪に避難し、益田石華先生に師事

昭和元年  (21歳) 東京に帰り、相澤先生に再入門。

昭和3年  (23歳) 松涛館の富名腰義珍先生について空手を習い始める。

泰東書道院に、出師表を出品して特選、かな部で万葉長歌を出品し褒状首位。

昭和4年    (24歳) 文検合格。私立高輪商業に就職。

昭和7年  (27歳) 岡橋あいと結婚。

昭和8年  (28歳) 長男修誕生。

昭和10年 (30歳) 麻布中の橋に移転。浅草女子商業の書道講師兼任。次男齊誕生。

昭和11年 (31歳) 本郷台町に移り、書道教室「修静書院」の看板をかける。

昭和12年 (32歳) 泰東書道院かな部に粘葉本「万葉防人歌」を出品し、かな部最高賞を受ける。

昭和15年 (35歳) 二水会を退会。三男 正誕生

昭和19年 (39歳) 中央大学と日大工科の空手部師範を引受ける。

昌平学園・浅草女子商業・滝野川女子商業等の書道講師を担任。

昭和20年  (40歳) 七月徴兵令状。入隊後熊本師団に配備される。九月復員。

昭和22年 (42歳) 日本書道美術院結成。理事就任。  

日本書道学校を設立。

昭和23年(43歳)  毎日新聞主催の全日本書道展かな部審査員となる。
           母校開成学園の書道講師を担任。

昭和24年(44歳)  毎日新聞社主催日本総合書芸展かな部審査員となる。

            清和書道会設立

昭和26年(46歳)  毎日書道展かな部審査員となる。以後第二十一回展までかな部審査員を担当。

昭和27年(47歳)  機関誌『清和』を発行。

昭和39年(59歳)  法華経五巻を慈光寺に奉納。これが機会となって、写経会が結成される。

昭和53年(73歳)  東京国立博物館の評価委員を委嘱される。

昭和54年(74歳)  文部省芸術科書道資料作製協力者を委嘱される。

昭和58年(78歳)  日本橋高島屋画廊に於いて喜寿書展を開催。

昭和61年(81歳)  日本橋高島屋画廊で傘寿記念書展を開催。 根津美術館評議員に就任。

昭和62年(82歳)  NHK通信教育で写経講座般若心経を担当。

平成2年 (85歳) 日本橋高島屋で「七午記念展」を開催。

平成5年 (88歳) 大崎駅前ウエストギャラリーにおいて「植村和堂書画小品展」を開催。

平成6年 (89歳) 荒川区立町屋文化センターにて和堂コレクション「中国書画家名品展」開催。

             高島屋画廊に於いて米寿記念展開催。

平成7年 (90歳) 大崎のウエストギャラリーで「江戸時代文人展」開催。

平成8年 (91歳) 日本橋高島屋で卆壽展開催。

   荒川区のムーブまちやで「植村和堂書道展」開催.

荒川区に所蔵する古筆を寄贈。

毎日新聞社から書道顕彰を受ける。

             東京都から「文化功労賞」を受賞。

平成9年  (92歳) 中尊寺の金色堂に「紺紙金泥法華経全十巻」を奉納。

平成12年 (95歳) 紺綬褒章を受章。

平成13年 (96歳) 愛知県春日井市の道風記念館で、「和堂作品展」を開催。

平成14年 (97歳)   七月 肺炎のため永眠

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